エッセイスト小川奈緒さんからのメッセージ

もともと古い建物や家具が好きだったので、リノベーションを前提に中古物件を探し、その中で出会った和風の家を、渡辺さんに設計していただきました。2010年のことです。

家は、購入時点で築年数30年を越えていました。和風の造りで、縁側と庭に一目惚れしたものの、はたしてリノベーションに値するほどの建物なのか、素人の自分たちでは判断がつきませんでした。

すぐに住宅リノベーションの実例集が載っている書籍を買い、たくさんの建築家や工務店の情報が載っている中で、ピンときたのが、渡辺貞明さんのご自邸の写真でした。落ち着いた色調の木の床や天井。和風の建物でありながら、家具や照明によって昭和初期の建物のようなモダンさが漂う家を見て、「この方と家づくりをしてみたい」という気持ちが湧いてきました。

物件の間取り図を添付したメールを渡辺さんに送ると、数日後には現地に来てくださり、じっくり家を見てくれました。地盤改良工事の必要性も示唆した上で、面白いリノベーションができるのではないか、と言っていただいたことで、購入に踏み切る決心がつきました。

正式な依頼前にもかかわらず、わざわざ千葉の郊外まで物件を見に来てくださったこと、また、実際の生活の安全性を第一に、住宅よりも地盤の補強工事を優先したプランを考えてくださったことにも、渡辺さんの誠実なお人柄と、家づくりの理念が現れているように感じます。

結局、当時のわたしたちが用意できた予算では、家全体のリノベーションは賄えず、2階の数部屋はそのままの状態で住み始めることになりましたが、「家は建てたときが完成ではなく、人が住み、生活する中で共に育っていくのだから、残りの部分はまたどこかのタイミングで直せばいいんですよ」と言ってくださり、その視点はわたしにとって、「家と人と暮らし」を捉える上で、今も大切なものになっています。

わたしたち夫婦にとって初めての家づくりでしたが、古い建物見学に出かけたり、いろんな雑誌や本をめくったりしながら、閃いた案を渡辺さんに積極的に伝え、設計に落とし込んでいただきました。一方で、縁側の軒を伸ばすことや、杉の丸太が貫く収納、下がり天井、玄関ホールを縮小するアイデアなどは、自分たちでは到底思いつかず、でも実際に暮らしはじめると、渡辺さんが狙った効果が実感でき、「こういうことだったのか」と感動しました。

とくに軒を数十センチ延ばしたことによって、室内から雨を眺める心のゆとりが生まれていることに驚きます。

家は日当たりがいいばかりが正義ではないし、広ければ快適というわけでもない。心地よさとは、もっとずっと繊細な感覚から生まれるものなんだということを、この家に教えてもらっています。

今も、家や暮らしにまつわる本を書き、取材をお受けするたびに、これほど長く愛せる家の土台を、渡辺貞明さんにつくっていただけたことの幸運を感じています。

小川奈緒(エッセイスト)